純粋瞑想に出会ってから20年以上経ちます。純粋瞑想を日々続けていて感じることは、それがますます「かけがえのない、美しい」ものになっていくこと。「純粋瞑想は最高の宝(crown jewel)」とMata Yoganandajiは述べています。瞑想を続けるにつれて、その言葉の意味が実感できるようになってきました。
たまに、今日は気分が乗らないから瞑想をサボろう!と思っていても、なぜか瞑想ルームに入り座っています。あの内なる深い静けさと安らぎを感じたいから、あの美しいエネルギーと繋がりたいから。瞑想中になにを感じるかは人それぞれです。それは言葉で表現できるものではありません。でも自分の存在すべてが深く養われていると感じます。「純粋瞑想は安らぎと一体感の至福をもたらし、常に新しく喜びに溢れ、悟りへと到達します。真の瞑想は様々なレベルの存在すべてを養ってくれ、人生で前進するに必要なすべてを与えてくれます」というMata Yoganandajiの言葉もだんだんわかるようになってきました。
でも私は最初から純粋瞑想に深く入れたわけではありません。「何かとても大切なものを習った、瞑想をすべきだ」と感じたけれど、超アクティブで常にマインドがフル回転していた私は、じっと座って瞑想に集中することが苦手でした。美しいとか安らぎとはかけ離れ、マインドが四方八方に駆け巡り、体もガサガザゴソゴソ。自分の内深くでは瞑想が必要と感じていたけれど、イヤイヤな気持ちで毎日瞑想していました。瞑想をしているというより、ただ座って苦戦している感じでした。そんな状態が何ヶ月、何年続いたのでしょう。いつの間にか、瞑想がイヤではなくなり、義務感からではなく、瞑想をしたいと思うようになり、瞑想の時間がだんだん長くなってきました。そしてかけがえのない、美しい時 ~旅、冒険、宝物~ になってきました。
やっと深く瞑想に入れるようになった、私もずいぶん進歩したなと思っていると、雑念の嵐がやって来るときがあります。マインドが全く言うことを聞かず、一瞬も鎮まらない日があります。この状態が暫くの期間続く時期もあります。それでも毎朝毎晩続けていると、いつの間にかまた美しくなってきます。
私が純粋瞑想を皆さんに知って頂きたいのは、このかけがえのない美しさを皆と共有したいからです。それが今私に与えられた役割だと感じるからです。美味しいレストランがあれば、ぜひ皆にそのおいしさを味わって欲しいと人に勧めるのと同じようです。純粋瞑想を教えていて、最初からすっと深く瞑想に入れる生徒さんもいます。最初から瞑想が大好きな方もいます。私は悪戦苦闘したけれど、そのかけがえのなさを感じ、なかなか集中できない生徒さんの気持ちもよくわかります。
時々「理恵子さんの見せようとしてくれる美しい世界が私には信じられない」というようなコメントをいただきます。純粋瞑想をしていると、今の自分の在り方や生活と人生は、いつかどこかで自分がつくりだしたもの、そしてそれはマインドの在り方にあることがだんだん分かるようになります。そして自分をより良い方向に変え、自分はなりたいものに成れる、自分の生きたい人生をクリエイトすることができるようになります。また必然的なこと、降りかかってくる試練や災難も、自分の成長に必要なこととして受け入れ、ベストを尽くして乗り越えることを学びます。Yoganandajiは「純粋瞑想は自分の真の姿を見つける方法です。生命、すべての人、そしてすべてのことと調和していること。」と述べています。
「純粋瞑想のメリットは、それなしでは生きられないほど役立つ変化を私たちにもたらしてくれることです。でもメリットを得るために瞑想すべきではなく、最愛の神への愛と献身をお返しするために瞑想するのです。」とYoganandajiは述べています。これからも、この純粋瞑想を与えてくださったマスターたちへの愛と感謝とともに、より神に近づけるよう、ひとつになれるよう瞑想を続けていきたいと思っています。